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子供の頃に漠然と不安に思っていたものはそのまま実現してしまう

こうまでも、自分が分からないと嫌になります。

どうせ彼女は戻ってきませんし、戻ってきても手に余るでしょう。私はいつもこうして選ばないことで不安から逃げてきたような気がします。太陽は眩しく、世間はありのままではやっていけません。とにかく自分に都合のいい人で溢れ返らせようとするので、どうしても競争というものは必要になってきますし、負けたと言えばそれはそうです。戦ってはいないということと、戦いが必要かどうかもまだ分かりません。

子供の頃に漠然と不安に思っていたものはそのまま実現してしまい、何か違うものを得ようとしている訳ではなく、自然と得たいものが違ってしまっているから困っています。自分のせい、と言えばそれまでだし、それが自分だと思うのならば、自分はきっと変われない自分ではある。変わらない自分だという見方もできます。良いことではきっとないでしょう。

私は、これまで母の言いつけは守ってきました。守ったというよりは、指摘されて何かを制限されるのが嫌で衝突からは逃げました。戦えば数の論理で勝てる訳がない、と思っていました。なぜならば人と違うことが、そして身にならないことが、私はしたかったのです。

お金になるならないで言えばそれは分からないです。それを喜んでくれる人がいればお金になるし、それを喜んでくれる人よりも、憎む人が多ければ、いやそれでも喜んでくれる人がいれば、お金にはなるでしょう。

映画や音楽や芸術というものは、なにかの役に立っているのか、でも映画や
音楽無しでどうやって生きていくのだろうか、現代で。昔の生活はどういったものだったのだろう、疫病で死んでしまうのだろうか。日々の生活に謀殺され、手は荒れ、また権力者との面倒な綱引きの末、いつまでも暮らしは楽にならないのだろうか。

何も決まりはないし、嫌われることは避けられません。何より自分がこの所在ない状態で生きていくのは、この何か良く分からない持ち物で戦って、「戦って」いくよりは良いと考えています。たとえ振り出しに戻ってしまったとしても。

時間は残酷です。ずっと寝ていたいのに、いつのまにか歳をとります。