子供の頃に漠然と不安に思っていたものはそのまま実現してしまう

こうまでも、自分が分からないと嫌になります。

どうせ彼女は戻ってきませんし、戻ってきても手に余るでしょう。私はいつもこうして選ばないことで不安から逃げてきたような気がします。太陽は眩しく、世間はありのままではやっていけません。とにかく自分に都合のいい人で溢れ返らせようとするので、どうしても競争というものは必要になってきますし、負けたと言えばそれはそうです。戦ってはいないということと、戦いが必要かどうかもまだ分かりません。

子供の頃に漠然と不安に思っていたものはそのまま実現してしまい、何か違うものを得ようとしている訳ではなく、自然と得たいものが違ってしまっているから困っています。自分のせい、と言えばそれまでだし、それが自分だと思うのならば、自分はきっと変われない自分ではある。変わらない自分だという見方もできます。良いことではきっとないでしょう。

私は、これまで母の言いつけは守ってきました。守ったというよりは、指摘されて何かを制限されるのが嫌で衝突からは逃げました。戦えば数の論理で勝てる訳がない、と思っていました。なぜならば人と違うことが、そして身にならないことが、私はしたかったのです。

お金になるならないで言えばそれは分からないです。それを喜んでくれる人がいればお金になるし、それを喜んでくれる人よりも、憎む人が多ければ、いやそれでも喜んでくれる人がいれば、お金にはなるでしょう。

映画や音楽や芸術というものは、なにかの役に立っているのか、でも映画や
音楽無しでどうやって生きていくのだろうか、現代で。昔の生活はどういったものだったのだろう、疫病で死んでしまうのだろうか。日々の生活に謀殺され、手は荒れ、また権力者との面倒な綱引きの末、いつまでも暮らしは楽にならないのだろうか。

何も決まりはないし、嫌われることは避けられません。何より自分がこの所在ない状態で生きていくのは、この何か良く分からない持ち物で戦って、「戦って」いくよりは良いと考えています。たとえ振り出しに戻ってしまったとしても。

時間は残酷です。ずっと寝ていたいのに、いつのまにか歳をとります。

公園のベンチで昼飯を食べた仲間

あまり良くない日々の中でも、例えばコンビニの弁当だったとしても、そう変わらない、いつもの冷凍食品も含まれた夕食だとしても、遠回しにいえばありきたりなものだったとしても、コーンフレークだとしても、みるからに腐ったにおいがする電車の中で、窓の外をみれば、仄暗い雲が見下ろし、マンションマンションデパート線路線路、学校、信号、踏切。

 

なにもしなければなにもしないで金はかかるし、かといって何かをする気にもならない日だったりして、確かに辛いところを乗り越えた先に一見誰からもおこられないような能力を備えられたとしても、それは出荷の順番が迫っている鶏の気持ちに近いものがあったりするのではないかとか、考えたり、夕闇に覆われた校舎の玄関で、トイレの窓みたいな小さい考え方から覗いた見方だったりする。

 

脳みそが働いているかどうかを知る為には、人並み以上の努力の結果を知る為には、そんなものは存在しないと言い切る為には、さいころを振って出た目を進んで、言い渡されたコンテンツを実施して、言い尽くされた言葉の先に、きっと新しい道があったりすることを経験することが必要だったりする。

vincent moon.comは無料で様々な動画が見れる

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vincent moon marude jibun ga miteiru youna sakkaku

sonoba ni iruyou na kannkaku ni nareru

dousite sonnna koto wo omoituitanoka to kanngaeru to

tada tann ni omoshirosou to omotta dake nanodehanaika

sonnahuu ni kanngaemasu

 

 

ヴィンセント・ムーン - Wikipedia